著者による前書き(1891年版; 抜粋)

 私たちの生きる時代、ポスト-ワーグナー派の時代というのは、輝きと想像性に満ちた色彩感あふれるオーケストレーションの時代です。少し前ならベルリオーズ、グリンカ、リスト、ワーグナー、現代ならフランスのドリーブ、ビゼー、またロシアのボロディン、バラキレフ、グラズノフ、チャイコフスキーといった面々が、この輝きと色彩感とを頂点へ導きました。彼らは色彩の使い手として、ウェーバー、マイアベーア、メンデルスゾーンといった先駆者達を凌駕するまでになりました。もちろん、このような進歩はこれら先駆者あってのことですが。本書を書くにあたって私が特に目指したのは、現代の輝きと想像力に満ちたオーケストレーションの根本にある基礎を伝えることであり、音の響きや音色の組み合わせには十分なスペースを割きました。

 ある音質を得るためにはどうすればよいか、音にまとまりや力強さを出すにはどのようにすればよいか。本書にはこれらに対する答えがあります。また、それぞれの楽器や楽器群に最も適したメロディデザインも明示されています。しかしなによりも本書の特徴は、これらの疑問に対する答えを簡潔にまとめ、一般法則として練り直してあることにあります。ようするに、きちんとした理解を短期間で得られるような教科書を目指したということです。ただし、本書から学んだテクニックを芸術に活かすにはどうすれば良いか、ということには触れていません。また、私の作例こそが正当な芸術作品であるというような扱いもしていません。これは当然のことです。例えば音楽における他の教科書について考えてみると、例えば和声法の教科書なら和声について、対位法や楽式論の教科書ならポリフォニーの書き方や形式やアレンジの仕方といった、音楽における技術を解説しているはずです。しかし、これらの教科書は作曲という芸術の才能を授けるものではありません。同じように、オーケストレーションの教科書は、ある音色でよく響く和音の鳴らし方やメロディを和声から浮き立たせる方法を教えてくれますし、各声部の正しい進行などのオーケストレーションにおける技術的な問題に答えを出してくれます。しかし、オーケストラを詩的な芸術に昇華させる術は教科書から学べることではありません。オーケストレーションとは創造的な作業であり、これは指導できる類のものではないのです。

 ある作品(あるいはある作曲家の作品全体)に対して「オーケストレーションの見本のようなアレンジで、良く書けている」という論評を見たり聞いたりしたことがあるでしょうか。どれほど多くの人がこのような間違った物言いをしていることでしょう。楽曲という物は考え抜かれたオーケストレーションや音色で成り立っているもので、そしてこれらの要素というのは作曲家の精神や生まれ育ちと不可分なのです。ワーグナーの音楽の本質をそのオーケストレーションから切り離すことなどできるでしょうか。このような論評は、絵画を見て「塗りが完璧で素晴らしい」というのと同じなのです。

 今も昔も、イマジネーションとパワーに満ちているとは言えないオーケストレーションを施す作曲家というのは存在します。彼らの創造する世界に音色の神秘が入り込むことはありません。しかし、このことは彼らがオーケストレーションのやり方を知らないということを意味しているのでしょうか?実は、このような作曲家の大部分は、単なる色彩主義者よりもオーケストレーションに通じています。ブラームスはオーケストレーションについて無知だったのでしょうか?もちろんブラームスの作品のどこを探しても派手で色彩感に富んでいるといえる部分はありません。しかし、このことは彼がオーケストレーションに不得手だったことを示すわけではなく、単に彼は音楽に色彩感を求めなかったということにすぎません。

 オーケストレーションの微妙で緻密なテクニックというのは決して伝えることのできない極意です。この極意を心得た作曲家はこのようなテクニックの価値をわかっていますから、これを単に公式の丸暗記のようなレベルに落とし込むことは絶対にないでしょう。

 作曲家の大体の指示に基づいて別のオーケストレーターが編曲する場合について考えてみましょう。オーケストレーターは可能な限り作曲家の考えに深く入り込み、その意図を理解し、そしてその本質的なキャラクターをオーケストレーションへと昇華させなければなりません。

 オーケストレーターの個性はあくまで作曲家の意図に従属するものでなければなりませんが、それでもなおオーケストレーションというのはクリエイティヴな仕事です。オーケストレーターが別にいる場合でも、オーケストラにアレンジすることを全く頭に置かずに曲を作るのは望ましくありません。多くの音楽家がこのミスを犯しており、今も状況は変わっていません。いずれにせよ、これはオーケストレーションにおいては最低の方式であり、白黒写真や彫刻に後から色を塗るようなものです。もちろん色塗り次第で良くも悪くもなるのですが。

 オーケストレーションに関して言えば、幸運にも私はこれまで一流の学校に在籍することができ、そこで本当に様々な経験をしたのでした。最初の学校では、私は自作の全てをサンクトペテルブルクオペラの素晴らしいオーケストラに演奏していただくことができました。次の学校ではまた少し違った体験ができて、そこでは様々な規模のオーケストラを作曲していました。初めはシンプルな組み合わせ(私のオペラ「The May Night」は自然ホルンと自然トランペットを用いています)から始まり、最後はもっとも複雑なものを書きました。その次は数年にわたって海軍合唱団の指揮者を務めることができ、これが管楽器についての理解を深めることにつながりました。最後に私は非常に若い生徒たちによるオーケストラを結成しました。ここでは、生徒らにベートーヴェンやメンデルスゾーン、グリンカの曲を極めてまっとうに演奏するよう指導することができました。長きに渡って経験してきたこれらの体験があったからこそ、私は本書をしたためることができたのです。

 さて、オーケストレーションを学ぶにあたって、まず次の3点を認めてしまいましょう。

  1. オーケストラに、汚い音というのは存在しません。
  2. 演奏しやすいオーケストレーションを目指しましょう。演奏が容易であればあるほど、作曲者の思った通りの表現で演奏することができるようになります。(注)
  3. オーケストラ作品を書く際は、それを演奏するオーケストラの規模に合わせましょう。オーケストラのサイズを適当に仮定するのは良くありません。多くの作曲家が未だにこの間違いを犯しており、金管に変な調の管を指定したりします。この場合、演奏を可能にするために、楽譜の指定とは異なる調で演奏されることになります。

注:(RKによるメモより) グラズノフはオーケストレーションの巧拙をいくつかのレベルに分けて評価していますが、彼によればオーケストレーションの巧みさは次の3段階に大別されます。1: 初見演奏でも良く響き、数回のリハーサルで素晴らしい演奏になる、2: 指揮者や演奏家が丹念に曲を研究して初めて演奏効果が表れる、3: どうやってもうまく響かない――言うまでもなく、1のようなオーケストレーションを目指します。

 オーケストレーションを独学する方法を提案するのは難しいものです。基本的には、シンプルなものから徐々に複雑なものを書けるようにと一歩ずつ進んでいくのが最も良いでしょう。

 オーケストレーションの学習者はおそらく次のような段階を踏んでいくことになるでしょう。1. パーカッションを全面的に信用し、打楽器こそが美しい音をもたらすものだと信じている時期(最初期)、2: ハープに興味を持ち、あらゆるコードで可能な限りハープを用いる時期、3: 管楽器を好むようになり、ストップ音を弦のミュートやpizzicatoとの接続に用いる時期、4: より熟達し、弦楽器こそが最も表現豊かで満ち足りた響きを持つ楽器群であると気が付く時期。独学でオーケストレーションを学ぶのであれば、このうち最初の3つの時期をできるだけ回避して進むべきです。最も良いのは、総譜を読み、そして読みながらオーケストラを聴くことです。ただし、数ある作品の中から勉強するべき作品を選び出すのは容易なことではありません。最近の作品を中心にしつつ、古いものも勉強してみなければなりません。というのは、最近の作品はオーケストレーションの良い見本になるでしょうし、古い作品は反面教師的な使い方ができるからです。良い例となるのは、ウェーバー、メンデルスゾーン、マイアベーア(「The Prophet – 預言者」)、ベルリオーズ、グリンカ、ワーグナー、リスト、そして最近のフランスおよびロシアの作曲家たちの作品でしょう。ベルリオーズやジュヴァールは自身の教科書でグルックによる作例を紹介することに努めていましたが、これは無意味でしょう。音楽の語法として古臭すぎ、現代の耳には奇妙に聞こえてしまいます。今日では彼の作例のような書き方をすることはまずありません。同じことが、モーツァルトとハイドン(現代オーケストラの父)にも言えます。

 巨匠ベートーヴェンによる音楽はまた別格です。彼のオーケストレーションは力強いイマジネーションに満ちています。その一方、テクニック面を細かく見ていくと、彼の内に無限に広がる音楽に対してテクニックが追い付いていません。例えば、トランペットが他の楽器よりはるかに目立っていたり、金管楽器に演奏困難な休符を与えたり、弦楽器と色彩豊かな木管との音色に差が付きすぎていたり、ということが挙げられます。これらの特徴が合わさっていますから、ベートーヴェンを勉強する学習者は何度も躓くことになるでしょう。

 よく、初心者にはワーグナーなどの現代音楽から単純でわかりやすいフレーズを見つけることが難しいなどと言われますが、これは誤りです。明快な良例はむしろいわゆる古典よりも現代作品に多く見つかるものです。

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