【訳注】
この章では特にロシア語→英語翻訳に際して論理や段落の再構成が多くなされており、結果として第二巻に収録の作例番号(No. 303.など)が順番通りに並ばずに乱れている箇所があります。

用語

 声域や声質を表す単語には混乱や誤解を招きやすいものが多いですが、基本的な分類としてはソプラノ、アルト(またはコントラルト)、テノール、バスの4つが挙げられます。これらの名前をコーラスに使う場合、第一ソプラノ(Sopr. I)や第二ソプラノ(Sopr. II)のように指定することで、合唱パートがいくつに分割されるかまで指定できます。楽器の音域は製造時に完全に決まっているのに対し、歌の声域というのは歌手によって変わってきます。したがって、各パートの限界声域を完全に定義することはできません。1パートを第一と第二に分けたい場合、より高音域の出る歌手たちが第一を、低音域側の歌手が第二を歌うことになります。

 ソロの場合、上に挙げた基本音域以外にも、メゾソプラノ(ソプラノとアルトの間)やバリトン(テノールとバスの間)という単語も良く使われます。

注:コーラスの場合、メゾソプラノは第二ソプラノ、バリトンは第二テノールに属すると考えればよいでしょう。

 以上の基本的な6タイプに加え、音域や声質、技術力を表すために、ライトソプラノあるいはソプラノ・レッジェーロ(soprano leggiero)、ソプラノ・ジュスト(soprano giusto)、ソプラノ・リリコ(lyric soprano、リリックソプラノ)、ソプラノ・ドラマティコ(dramatic soprano、ドラマティックソプラノ)、ライトテノール、テノリーノ-アルティーノ(tenorinoaltino)、バリトン-マルタン(baryton-martin)、テノール・リリコ(lyric tenor、リリックテノール)、テノール・ドラマティコ(dramatic tenor、ドラマティックテノール)、バッソ・カンタンテあるいはバッソ・カンタービレ(basso cantante, basso cantabile, “歌うバス”の意)、バッソ・プロフォンド(basso profondo, かなり低いバス)、等といった単語が使われることもあります。「リリック」や「ドラマティック」等の意味は、少し後の節(「声色と声質」)で説明します。長くて嫌になってしまいそうですが、さらにメゾ(メッツォ)-カラッテレ(mezzocarattere)という単語も覚えておかなければありません。これは中間的な声質を表すときに使う単語で、例えばソプラノであればリリックソプラノとドラマティックソプラノの間の声質を指します。

 これらの言葉の意味をきちんと考えようとすると、これらは様々な基準に基づく言葉であることがわかります。例えば「ライトソプラノ」という言葉からは歌が軽快で機敏に動けそうという感じがしますし、「ドラマティックテノール」は劇的な表現を可能にする力強さが、「バッソ・プロフォンド」は低音域に豊かな響きを持っているであろうということが感じ取れます。

 このような発声をどのように行うかということを考えるのは作曲家にとって混乱の種になるだけですので、発声法については歌唱の先生に委ねることにしましょう。同じように、声区(女声ならチェストボイス(胸声)、ミドルボイス(中声)、ヘッドボイス(頭声)、男声ならチェストボイス、ミックスボイス、ファルセット)が厳密にどの音で切り替わるかというのも作曲家が気にすることではありません。歌唱指導にはこれらの声区を通して均質な音質を得ることも含まれていますので、どんな母音で歌っていたとしても、ある声区から別の声区への移り変わりはほとんど気付かれないほど連続的になっているはずです。元々これら声区のうちいくつかは訓練を受けずとも均一性が高く柔軟でもありますが、歌唱レッスンではさらに、呼吸法、各声区の確立とその音域の設定、各声区の均質化、柔軟性の向上、各母音の発音法、抑揚の付け方などを学びます。作曲家は歌の柔軟性や均一性が歌手それぞれに応じて変わってしまうのではないかなどと心配しないほうが良いでしょう。最近はある歌を特定の歌手のために書くということはほとんどなくなりました。同じように、作曲家や劇作家が予めある役柄を可愛らしい声の歌手に、別の役を重くドラマティックな声の持ち主に指定する、ということも必要なくなりました。現在の芸術作品というものは、歌手それぞれの持ち味や歌手が一般的に備えているであろう多くの技術によって支えられています。

ソロ

声域

 表Fに大まかな音域を示しました。音符の下にカッコでくくったのが、いわば「通常音域」とでも呼ぶもので、普通使われる一オクターブ分の音域です。この範囲内なら、声を固くさせたり疲れさせたりする心配なく自由に歌を書くことができます。デクラメーションやレチタティーヴォでもこの通常音域内で自由に書くことができます。一方、そこからはみ出した「予備音域」についてですが、高い方はフレーズのクライマックスに、低い方はメロディの下降に合わせて使います。通常音域を外れて長時間歌い続けるのは歌手も聴き手も疲れさせてしまいますが、歌声を厳格に一オクターブにとどめる必要もありませんので、短い時間であれば予備音域も使うことになるでしょう。以下に、各声タイプに応じたメロディの例を紹介します。

The Tsar’s Bride, 102-109 (抜粋はNo. 256, 280, 284): マルファのアリア (ソプラノ).

The Tsar’s Bride, 16-18: グリャズノイのアリア(バリトン).

Snegourotchka, レルの3つの歌 (アルト).

Sadko, 46-49 (抜粋はNo. 120): サトコのアリア (テノール).

Sadko, 129-131: リュバーワのアリア (メゾソプラノ).

Sadko, 191-193 (抜粋はNo. 131): バスのアリア.

歌唱のためのメロディ

 ボーカルのための良いメロディというのは、少なくとも3つの音価、つまり二分音符、四分音符、八分音符(あるいは四分音符、八分音符、16分音符)をすべて含んでいます。ずっと同じ音価が続く単調なリズムは、歌のメロディには適しません。器楽曲の場合はあり得ないこともないですが、それも限られた場合のみです。Cantabileのメロディでは長い音が適度に含まれているのが望ましく、一単語の中で音節が切り替わる部分は、長く伸ばしていた音が終わるタイミングに一致しているべきです。短い音を組み合わせて音節ごとに音を変えていくと、和音のような効果を得ることができます。一音節に対してレガートで息の長いメロディを書く場合には、言葉遣いとして自然かどうか作曲家の方で注意しなければなりません。このようなメロディを歌うためには、歌い手には卓越した柔軟性と技術が求められます。また、適切な場所でブレスができるかどうかというのは、あらゆる歌曲において本質的な問題です。ブレスを単語の途中に入れることはできませんし、場合によっては一連の文やフレーズが終わるまでブレスできないこともあります。従って、ボーカルパートは適度に間隔をあけて休ませなければなりません。

注:単語によっては、長々と伸ばして歌い上げたり一単語に二音以上あてたりするのがふさわしくないものがあることに注意しましょう。名詞、代名詞、数字、前置詞、接続詞、及び話し言葉などがこれにあたります。例えば、”who”や”he”といった単語に長い音を当てることはできませんし、馬鹿げています。長々と歌い上げるのは、ある程度感情を含んだ単語に割り当てましょう*。

*英訳者(?)注:リムスキーによる優れた説明にさらに磨きをかけようとするのは翻訳者の仕事の範疇ではありませんが、歌詞の取り扱いという繊細で重要な問題に関して、ここに追記しておくべきことがあります。リムスキーはここで、ロシア人にとっては当然でこれ以上の説明の必要のない問題に触れています。しかし本書は訳書である以上、これを読んだほとんどすべてのフランス人作曲家が(例えロシア語の言葉遣いや文体に精通していたとしても)陥る間違いを指摘しておかなければならないと思います。はっきりと言えるのは、ここで強調されている点はフランスではそれほど重要ではないということです。この違いはおそらく、フランス語ではロシア語と異なり音節に明確なアクセントをつけることがないからでしょう。フランス語における作詞法について詳しく述べるなどこれ以上の説明は翻訳の範疇を大きく外れてしまいますので割愛します。

No. 303. Sadko, 236: サトコのアリア (テノール).

Sadko, 309-311 (抜粋はNo. 81): ヴォルコヴァの子守歌 (ソプラノ).

Snegourotchka, 9: 春の妖精のアリア (メゾソプラノ).

Snegourotchka, 187-188, 212-213 (抜粋はNo. 102及びNo. 225): ベレンディ皇帝の二つのカヴァティーナ (テノール).

Snegourotchka, 247: ミズギールのアリア (バリトン).

母音

 長く高い音を一音節に割り当てる場合、その母音を無視することはできません。これは、母音に応じて口の形や唇の位置が異なるためです。例えば口を大きく開けてア(a)という時と、それほど開けずにオウ(ou)という時で口の形が違うのは誰にとっても明らかでしょう。大きく口を開けるほうから順番に並べると、ア、イ、オ、エ、ウ (a, i, o, e, u) の順になります。女声の場合は高音を出しやすいのはaで、男性の場合はoになります。母音iはバスの最高音が突き刺すような音色になってしまうのを和らげてくれ、また母音aではかなり低い音まで声域を拡張できます。息が長く華やかなパッセージは感嘆詞アー(ah)に乗せるか、あるいは単に母音aに乗せることが多くなります。ただし、歌詞や劇の筋を自由に変える訳にはいきませんので、以上のことを完全に守って作曲することはできないでしょう。

Snegourotchka, 293, 318-319. (No. 119も参照のこと).

No. 304. Sadko, 83.

柔軟性

 通常音域であれば、声というものは非常に柔軟です。女声の方が男声より柔軟で、また男声であれ女性であれ、声域が高いパートの方がより機敏に動くことができます。つまり、女声ではソプラノ、男声ではテノールが機敏であるということになります。歌は派手で混み入ったフレーズを歌うことができ、様々なフレーズに対応でき、そしてスタッカートからレガートへ急速に変化させることができます。しかしそれでも、楽器と比較するとはるかに柔軟性が劣ります。急速なパッセージでは、全音階的なスケールや3度のアルペジオの動きが最も歌いやすくなります。一方、五度以上の跳躍の連続や半音階的な動きは、素早いパッセージでは極めて困難です。また、短い音から一オクターブ以上離れた音に飛ぶのも避けなければなりません。超高音の前にはだんだん音が上がっていく等の準備が置かれていることが望ましいです。4度、5度、あるいはオクターブといったわかりやすい跳躍も超高音の前の準備とできます。ただし、こうした準備なしに超高音を出すというのも珍しいものではありません。

Snegourotchka, 46-48 (抜粋はNo. 279参照): スネグーラチカのアリア (ソプラノ).

Snegourotchka, 96-97: レルの第一の歌 (アルト).

Sadko, 196-198 (抜粋はNo. 122参照): インド人の歌 (テノール).

Sadko, 203-206: ヴェネツィア商人の歌 (バリトン).

Pan Voyevoda, 20-26: マリアの子守歌 (ソプラノ).

声色と声質

 声色、つまり輝くような声か鈍い声か、あるいは明るい声か暗い声か、というのは歌手それぞれに異なっているため、我々作曲家が気にする必要はありません。大事なのは解釈の方であって、それは歌い手の側で考えてくれることでしょう。柔軟性と表現力という観点から考えると、声というのは「ドラマティック」と「リリック」に大別することができます。ドラマティックの方はより力強く、また音域も広いです。一方リリックの方はより柔軟で融通が利き、音量変化が容易に行えます。歌手がこの二つの性質を併せ持っているというのが作曲家の理想ではありますが、普通は求める歌手像がどちらかといえばどちらに寄っているのか気にする程度で満足しなければならないでしょう。複雑で長大な作品では、必要になる声の特徴を色々と頭に置きながら作曲しなければなりません。さらにいえば、もし同じ声域の歌手が二人必要な場合、つまりソプラノが二人とかテノールが二人とかいうような場合、これら二人の音域に差をつける必要があります。つまり、片方をもう一方よりわずかに高音にしておくべきです。また、ドラマティックとリリックの間の声質(mezzo-carattere)、つまり両方の特徴をある程度ずつ持ち合わせた声が現れることも珍しくありません。メッツォ・カラッテレに対してはドラマティックとリリックのどちらに近い役も割り当てることができ、特に準主役を任せることが多くなるでしょう。今日では、ドラマティックやリリックに適した役の他に、何か特別な資質を必要とする声を目立たせるのが慣習となっています。これは例えば通常より柔らかい声や力強い声であるとか、音域が特殊であるとか、あるいは極めて高い柔軟性を持っているというような歌手を指しますが、どのような特性が欲しいかというのはその時々に応じて芸術的な観点に基づいて決定するものです。準主役やその他の脇役に対しては、音域も普通で技術的にもそれほどは高度でない歌手を想定するのが良いでしょう。

注:Meyerbeerが重いメゾソプラノやバリトンといった特殊なタイプの歌手を使って以降、ワーグナーは広い音域を備えた力強いドラマティックソプラノというタイプを作り出しました。これはソプラノとメゾソプラノの両方の声質と音域を兼ね備えたものです。同様に、テノールとバリトンの声質と音域を持つテノールというものもあります。このようなタイプというのは高音でも低音でも同じようによく響く明るい声が出せなくてはならず、歌手は極めて力強い呼吸機能と、類まれな持久力に恵まれていなければなりません(例:ジークフリート、パルジファル、トリスタン、ブルンヒルド、クンドリー、イゾルデ)。これはほとんど奇跡に近い才能です。もちろん、このような才能を持った歌手が存在しないとまでは言いません。しかし、驚異的とまでいかなくとも素晴らしいパワーを持った歌手が、このようなワーグナー派の無茶な要求に応えようと無理をしている場合があることを忘れてはいけません。彼らはワーグナー派が次々と求めてくる技術難題に応えるために普通以上の音域と音量を身に着ける努力を続け、そして結局はそのために正しいイントネーションや音色の美しさを犠牲にし、そして微妙なニュアンス表現の全てを捨てることになるのです。無茶な要求をせず、何を求めているのかを明確にし、高音や低音は十分な思慮のもとで巧みに用いる、そしてcantabileなメロディはどう書くべきか、またオーケストラがそれを圧倒しないためにはどうするべきか熟知する  こうして作曲するほうが、ワーグナーのような苦心に満ちた方法よりも芸術的に優れたものを生み出せるのではないでしょうか。私はそう信じています。


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